【前編】滋賀旭 -ひと握りからの挑戦-























滋賀旭 
という、挑戦。

八十年前、祖父が育てていた、
在来種「滋賀旭」。

この土地ならではのお米を
復活させたい。
農業家としてのロマンと
歴史を未来へつなぐ挑戦を
令和三年、三〇グラム
ひと握りの種からはじめます。


– 前編 –
滋賀旭について

滋賀の風土に合う在来種「滋賀旭」

農業をカッコよく、食卓に笑顔を。|お米の家倉|滋賀の風土に合う在来種「滋賀旭」
「滋賀旭」が生まれたのは1933年(昭和8年)。日本の良質米の祖先といわれ、昭和30年代ごろまでは「旭でなければ米でない」といわれるほど人気の品種でした。
米粒はしっかりとした大粒で食べごたえがあり、ベタつかずさっぱりしているのが特徴です。
当時は農薬も大型機械もなく、人の手間と土地の恵みだけでつくる自然栽培が当たり前。その環境で好んで栽培されていたということは、その土地に合っているということ、つまり在来種は適地適作の極みだといえるでしょう。

農業をカッコよく、食卓に笑顔を。|お米の家倉|滋賀の風土に合う在来種「滋賀旭」
時が進み、農業は機械化の時代を迎えます。滋賀旭は背が高く倒れやすい、収穫する時に機械と衝突して穂が落ちてしまうなどの理由から、機械化にそぐわず栽培する農家が減少していきました。
また、もちもちと粘り気のあるお米が好まれるようになったのも、あっさりでしっかりな滋賀旭が衰退した大きな原因となりました。

復活へ向けた、お米の家倉の挑戦

滋賀旭にもう一度光を当てるチャンス

農業をカッコよく、食卓に笑顔を。|お米の家倉|滋賀旭にもう一度光を当てるチャンス
今、お米は嗜好品として楽しまれる時代を迎えました。
もちもち感に特化した品種、バランスがいい品種、何か一つの料理に合った味わいを持つ品種など、地域やつくり手ごとにさまざまなお米が栽培され、まさに群雄割拠。
その一方で、主食としてはパンや麺も並ぶようになり、また糖質制限が注目されるとお米を食べる機会までが減る時代になりました。
そんな逆風の時代だからこそ、自分が作る意味を問い直し、“地の味”にこだわるお米をつくりたいと思い、たどり着いたのが在来種の滋賀旭です。

農業をカッコよく、食卓に笑顔を。|お米の家倉|滋賀旭にもう一度光を当てるチャンス
かつて「滋賀のおいしいお米といえば滋賀旭」といわれていた品種を昔と同じ自然栽培で育て、その味わいをみんなと分かち合うことは、非常に意義のある挑戦であり、米農家としてロマンにも溢れています。運良く原種の種を入手できたのも、大きな後押しになりました。
まずは種を増やすことから始め、流通させられるようになったら、食べるお米としての楽しみ方、滋賀旭で仕込んだ日本酒という楽しみ方など、いろいろなものに形を変えて楽しめる可能性を広げたいと考えています。
滋賀旭にもう一度光が当たるチャンスをつくりたい。
滋賀旭ならではの特性が活かせるさまざまな方法を見つけて、この土地にしかないお米をつくり、次代へバトンをつなげていきたいと考えています。